弁護士コラムバックナンバー

ウチとソト

三木 昌樹

 宗教を学問的に研究している友人がいます。彼がオウム真理教について検証した書籍を送ってくれたことがあります。その本の表題に「ウチとソトの境界線」という副題が付けられていました。編者によると、(オウム真理教という集団を検証する際に)「境界線という視点を導入することの意味を強調したかったからである。何がこの集団のウチとソトを分けているのか。ウチからソトはどう見えたのか。ソトからウチはどう見えるか。そもそもウチとソトで何が違うのか。ウチとソトの境界線を越えるときに起こっているのはどのようなことか。ウチからソトへと移ったとき、ウチへの見方はどう変わるのか。私たちがオウム真理教を前にして無意識的に築いている境界線を意識化することは、問題の本質を見極める上での助けになる。」とのことですが、オウム真理教のような問題に限らず、ほとんどの問題を考察するうえで、このウチとソトという視点を考慮することは極めて重要だと思います。

 そこで、この書籍で定義されている概念とは異なる使い方になりますが、「境界線」、「ウチ」、「ソト」といったキーワードを借りて、私たち弁護士の仕事について考えたいと思います。

 私たち弁護士は、通常依頼者から法律に関する問題について相談を受けます。そのすべてにおいて相手方がいます(相手方を探すこともあります)。そのときの当初の視点は、当然ですが依頼者側(ウチ)にあります。しかし、相談を受けた問題を解決するにはそれだけでは不足します。依頼者の視点だけでなく、相手方は勿論、関係する多くの人や周りの状況、さらには時間軸(過去や将来)も併せて十分検証する必要があります。依頼者の視点だけから物事を見ていると解決の方向性や着地点を誤ることがあります。まさにソトからの視点を持つことが重要になります。特に相手方の視点をきちんととらえることができれば、まさに「敵を知る」ことにつながり、紛争の早期解決につながります。

 ところで、このソトからの視点を持つことについて、依頼者にわかってもらうのはなかなか難しいことが多いです。特に家族間の問題などは感情がベースのトラブルが多く、ソトからの視点を持つことで依頼者からの信頼を損なうことも起こり得ます。「先生は誰の味方ですか?」「私のことをわかってくれない!」。このような依頼者とのすれ違いを避けるためには依頼者との信頼関係が重要です。従前からのお付き合いがある依頼者ならいざ知らず、その問題について初めてお会いする依頼者との間で信頼関係を築くのは極めて難しい場合があります。そのようなときに依頼者の言いなりになって、ことを進めると紛争は感情のぶつかり合いとなり、いわゆる泥沼化し、紛争の解決には程遠くなっていきます。結果的には依頼者の利益に反することにもなるので、十分な時間を取り様々なアプローチをすることによって依頼者に納得してもらったうえで信頼関係を構築することが重要となります。まさに弁護士の腕の見せ所というわけです。

 その場合、私たち弁護士にとって法律的な視点を失わないことは勿論ですが、それだけでは依頼者の信頼を得ることは難しいことが多いです。個々人の人生経験や多くの素養に加えキャラクターなどが重要になります。まさに弁護士が依頼者という「ソト」に対して境界線を越えて働きかけることになります。もっとも、宗教(信仰)における境界線は極めて厳然としたものがあると思いますが、弁護士が扱う紛争などにおけるウチとソトの境界線は、かなり緩やかなものであり、漠然としたところがあったり入り組んでいたり状況によって動いていきます。それも心してのぞき込めば、ソトの風景(相手方の考え方)もかなり正確に見えるものですし、ウチ(依頼者の思いなど)についても的確にとらえることができると思います。

 依頼者との対応において、私が特に気を付けていることは笑顔を絶やさないということです。依頼者はそもそも問題を抱えて相談に来られます。そのような依頼者に渋面を作って対応したらますます落ち込むことになり、場合によっては心を固く閉ざしてしまうことにもなりかねません。もっとも、困っている人に対して笑顔で接するのは失礼だという人もいます。しかし私は、困っていたり、落ち込んでいる人にとって一番必要なのは、やさしく受け入れてくれる笑顔での対応だと思っています。

 以上


宗教情報リサーチセンター編 井上順孝責任編集 『〈オウム真理教〉を検証する そのウチとソトの境界線』(春秋社、2015年) まえがき(井上順孝執筆)より一部抜粋。

本コラム中の意見や推測にわたる部分は、執筆者の個人的見解であり、ひかり総合法律事務所を代表しての見解ではありません。
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