弁護士コラムバックナンバー

鈍感力

三木 昌樹

 作家の渡辺淳一さんが、「鈍感力」と題する本を出版されているそうですが、私はまだ読んだことがありません。したがって、ここで触れる「鈍感力」は私の独善的な解釈によるものであり、特にオーソライズ(?)された言葉としての使い方ではありません。

 私は、若い頃は、自分ではかなり自意識過剰気味でかつ繊細(敏感)な性格だと思っていました。今となっては、多くの人たちからは「とても信じられない」などと言われますが、私は、いわゆる思春期の頃は、ずっと「赤面恐怖症」で人前に出るとあがってしまうのが怖く、悩んでおりました。自分では、その原因は自分の自意識過剰と繊細さにあると思っていましたから、それを隠すために鈍感を装うようにしていました。その後、やむなく人前で話すことが多くなるにつれ、少なくとも外観上は悟られないようになっていきましたが、内面では、いつもあがっていました。それを相手に悟られないように演技することと、少々のことでは動じないように、訓練というか場慣れをしてきたからか、人前で赤くなることは徐々に減っていきました。

 そのきっかけは大学で少林寺拳法部の創設にかかわり、部の運営に力を注いだことが大きかったと思っています。部の主将となったことから、多くの部員の前で話をしたり、指導していく必要があり、いつの間にか「赤面恐怖症」であったことなどは自分でも忘れていきましたが、人前であがる習性はなかなか抜けず、実は今でも多数の人の前ではけっこうあがっております。それでも何とかやっていけるのは、テーマとして揚げた「鈍感力」がアップして来たからかな?と思っています。それに加えて、加齢に伴い、細かいことが気にならないという物忘れ症候群(?)の進行が進んできたせいか、ある程度歳をとってからは、逆にもう少し繊細であった方が良いのではないか、などと思うようにもなってきました。

 ところで、「忘れる」ということの対象は、当然「過去の物事」ということになるわけですから、その後に考えるのは「先のこと」、要は前向きになるということだと思います。また鈍感であるということも、そのことを自覚していれば、じっくり事象を観察することができるわけですから、鈍感で、物忘れが多くなることも、感動する心さえ失わない限り、それほど捨てたものではないのかな、などと最近では好意的に考えております。

 しかし、歳を経て、多くのことを経験していくと、鈍感力がアップしたり、物忘れが進行するのと並行して、多くの場面で既視感が先行し、結果として物事に動じないようにはなりますが、感動する気持ちが薄れるという弊害が出てくるのは、とても残念なことだと思います。

 弁護士をしておりますと、多くの依頼者の方々の悩みや問題に直面することが多く、それに対して繊細な心で敏感に対応することは、大局的な観点からすれば必ずしも望ましくない場合があります。問題によっては、依頼者の方々の悩みや問題を受け止めつつ、一歩引いて、より客観的に物事を見る必要のあることがあります。そのような時にこそ、鈍感力をフルに発揮して、じっくりと話を聞いていくのが良いのかなと思っています。

関連するコラム
↑TOP