弁護士小林弘卓コラム
平成26年
3月27日
今回も司法修習生の修習カリキュラムの一つとして狂言の鑑賞を用意した。
野村万作、野村萬斎によるもので、国立能楽堂で演じられ、修習生だけでなくスタッフも参加してくれた。
ところで、能と比べて狂言は取っつきやすいと感じていたのだが、最近読んだ本で狂言「附子」のことがとりあげられていてなるほどと思った。
「附子」は、ブスとよみ、毒のことだ。主人が、秘蔵の砂糖を食べられたくなかったので、砂糖を毒だと偽って出かけたが、留守番をしていた太郎冠者と次郎冠者とに盗み食いをされてしまう話だ。太郎冠者は巧妙な嘘をついて責めを逃れようとしたのだが最後は嘘を見抜かれ、主人から追いかけられて終わる。
その本によれば、この話の大事なところは、太郎冠者は主人から、こいつは嘘をつく人間だと思われていること、ところが太郎冠者本人はそのことを分かっていない、というところだと言う。
確かに、主人が太郎冠者を日頃から正直な人間だと思っていたら、太郎冠者の言い訳を嘘だと考えなかったであろう。
結局、太郎冠者は自分が嘘をつく人間であること、他人からもそのように評価されていることに気づいていなかったわけで、およそ自分自身を知ることは難しいということだ。
2000年以上前のソクラテスの「汝自身を知れ」との言葉が、今もって伝えられているわけである。
4月20日
京都に行くことがあると、祇園にある「割烹すだ」で食事をする。
カウンター席5席ほどの小さな店だが、須田さんの料理に対する熱意が半端でなく、だからといって近寄りがたいというところがなく、私より年上だが可愛ささえ感じる人物だ。
店では女将さんとの掛け合いに参加するのも楽しみだが、この度、須田さんが、四川飯店の陳建一氏に誘われて、中華と和食のコラボレーションを行うとのことで、会場の麹町まででかけた。
いつもながらの大将の誠実な仕事ぶりと陳さんの巧みな話術、美味しい料理にと3時間あまりがあっという間に過ぎた。
多少値が張るにしても、情熱と工夫と真心とたっぷりの時間とでこさえられた料理を食べるのも一回しかない人生の大切なひとときだ。
5月17日
今年もまた中央大学法修会入室面接試験の試験官を引き受けた。
論文試験に通った受験生のうち半分の10人の面接をする。
受験生の大半は入学間もない1年生であるから法律知識などを問うことはできず、合否の判定はかなり主観が入り込むことは否めない。
だから、入室後の成長具合が大いに気がかりなところであるが、室員の司法試験の合格率も相当なものだ。
昨年は予備試験に合格した学生もいたが、最近この予備試験制度が何かと問題にされている。経済的事情からロースクールに行くことができない人ばかりか、広く受験生が予備試験を受験しだしたのだ。
司法試験を受けようとする人間はもともと功名心が強いのだから、若年合格が可能な予備試験をうけることは想定内のはずである。
そうはいっても、ロースクールの存続にも関わる問題なので深刻だ。
5月24日
顧問先の株主総会が開かれた。
大いに荒れたが、弁護士、事務局の周到な準備で総会はひとまず無事終了した。
もっとも今後さらなる波乱が予想されるが・・・。
6月5日
奥さんからは胃と大腸の内視鏡検査はマストとのことで、先ずは大腸内視鏡検査から体験した。
案の定というべきか、特に大腸に問題はなかった。
検査自体に苦痛はないが、検査までの数日にわたる食事制限が辛かった。
次回はいよいよ胃の内視鏡検査である。
8月1日
友人の土佐っこラーメンの店主の協力を得て、バルコニーを利用してビアガーデンを催した。
事務所の職員はじめ中大の学生等総勢40名近くが集まってくれた。
若手弁護士がカクテルを作るなど、所員一同一丸となって大いに盛り上げてくれた。
8月24日
千葉県の海辺に家族そろって出かける。
育児の目を盗み、海を眺めてぼんやり時間を過ごしている。
辰濃和男氏が説くようにぼんやりすることはリフレッシュするのに大いに役立つ。
弁護士の仕事は真意を隠して相手と対峙することがしばしばで、ひどくストレスがたまる仕事だ。
「探りあいのなかで生きていると素直にものを見ることができなくなる。これに対して自然は何一つ気取りもなく、何一つ隠している物もなく、そのままの姿をさらしている。
このような自然に関心を寄せ、深く見つめ、それを見抜こうとすることが大切である」との串田孫一の言葉にはっとする。
9月9日
20周年記念事業会議が開かれる。
当事務所も来年で20周年を迎えることとなり、その記念事業のための会議だ。
今日までがあっという間に過ぎた感じだが、また20年あっという間に過ぎるだろう。
9月15日
弁護士求人に応じて、履歴書が届きはじめた。
ここ数年弁護士採用面接をしていて感じるのは、企業法務に強い関心を示しているものの、その取捨選択の過程が極めて軽薄な感じがすることである。
法律家の仕事は様々であることがわかった上で考えに考えた結果、企業法務を志望するというのではないのだ。
あたかも、テレビドラマ「ヒーロー」をみてそのまま検察官の仕事を選択するもののようである。
その結果は悲惨な未来が待っているのではないか。
法律家は他人の不幸で飯を食っていることを忘れてはならないし、その不幸を共に背負ってその幸せに少しでも役立つことに矜持をもつのである。
9月20日
帯紙の「短所でひきたつ人もいれば、長所で見劣りのする人もいる」に惹かれて、ラ・ロシュフコーの「箴言集」を買う。
湯船につかりながら読んでいると長湯ができる。
9月30日
裁判員制度の合憲性を問題としたストレス障害訴訟で原告敗訴の判決がでた。
これは、裁判員が証拠の遺体写真を見せられるなどして、急性ストレス障害になったというものである。
裁判員制度は合法的ではあろう。しかし、これまで遺体写真とは無縁な生活を生きてきたのに裁判員制度のために、そのような生活に変更を余儀なくされるのであれば、十分な精神的なケアーが制度的に必要であることは当然だ。
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