弁護士コラムバックナンバー

感情:この厄介(素敵)なもの

三木 昌樹

 

 「好きだから好き」という表現があります。

 要するに好きになるのに理由なんかいらない、ということのようです。

 なにかを決める際に理由なんか要らない、ということはよくあると思います。

 その時の感情や感覚で判断しているからでしょう、後でよく考えると、バカなことしたな、と後悔したり、逆に何だかよくわからないけどうまくいったな、などと思うこともあります。

 我々弁護士が問題に取り組む際には、当然ですが最終的には法律に基づいた権利や義務があるのかないのかということを判断します。

 権利や義務にはそれらを発生させる理由があります。

 権利や義務を発生させる事実を要件事実といいます。

 裁判ではこの要件事実があるのかないのかが証拠に基づいて判断されます。

 そこで理由なんか要らない「ダメだからダメ」などと主張してもその主張が通るわけがありません。

 むしろ理由があるのだけれど、それを立証する証拠がないか、あったとしても「そうかもしれない」などというあいまいな証拠だけでは、裁判では認められず、結果としては権利や義務の存在そのものが否定されることになります。

 お金の貸し借りや、モノや権利のやり取りなどの経済活動などに伴う案件には必ず権利と義務があり、何が問題となっているのかがわかりやすい事案が多いのですが、「法律は家庭内には入らない」と言われるように、家事事件などは、感情を考慮しないと紛争の解決は難しいことが多いです。

 紛争の当事者ではなく、第三者の立場で事案を見ていると、なぜこの人はこんなことに執着、あるいはこだわるのか理解が難しいことがあります。

 感情が入ることの多い離婚事件はもとより、相続人間において相互不信に陥った相続案件や、単純なお金の貸し借りであっても、そこに義理や人情が絡んでくると、思わぬ方向に紛争が拡大してしまうこともあります。

 当事者間ではお互いへの不信感が強く、話し合いが困難な場合であっても、双方の代理人(弁護士)の努力により紛争の解決につなげることができることがあります。

 代理人であれば客観的に事案を見ることができて自分の依頼者の説得に動くことができるからです。

 もっとも当事者である依頼者の思いが強く全く説得には応じず、強く説得を続けたために解任されることもありますので、匙加減が難しいところです。

 やはり依頼者との信頼関係の構築が重要だと思います。

 さらに、このように当事者間で感情的にこじれる原因がどこにあるのか、事案の本質を見極めることも大切です。

 個人的な問題ではその人のキャラクターだけでなく何故そのようなキャラクターができたのかの原因の究明も必要になるときがあります。

 特に相続問題などは、生まれ育った環境なども影響している場合もあります。

 私の独断と偏見ですが、身近な人とのトラブルは、その多くの原因はコミュニケーション不足にあると思います。

 ちょっとしたことから相手に不信感を持つことにより感情的になり、憎しみにまで増幅されるとなるともう修復は難しいといわざるをえません。

 そんな時は冷徹な判決をもらい、とにかく結着を付けたほうが適切な場合もあると思います。

 一方不信感の原因がちょっとした誤解に基づくものと分かり、一挙に解決に向かうこともあります。

 それができたときは心から良かったと思います。

 さらに感情はマイナス面だけでなく、人を幸せにすることもあります。

 友情や恋愛感情、さらには親子などの家族間の情愛などがその最たるものだと思いますが、残念なことにそのようなプラスの感情はなかなか長持ちしません。

 一方マイナスの感情は尾を引くようです。

 例として引き合いの出されるのは、「いじめ」についてですが、加害者側は忘れていても被害者側は忘れておらず、自分の内面が深く傷つき、場合によっては恨みの感情にまでなっていることもあるようです。

 そうなると表に出ている事象だけでは紛争の本質を理解することはできません。

 それほど厄介な感情ですが、人に感情がなくなると、これほどつまらないことはないと思います。

 なんとなく幸せ、とかワクワクする気持ちなどそういった感情感覚が生きる幸せを与えてくれるような気がするからです。

以上

本コラム中の意見や推測にわたる部分は、執筆者の個人的見解であり、ひかり総合法律事務所を代表しての見解ではありません。
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