弁護士コラムバックナンバー

「若い」ということ

三木 昌樹

 申年生まれの私は、今年は年男ということになります。何回目かということは知る人ぞ知る・・・くらいにしておきましょう。ただ、表題の「若い」ということを気にするような年になっていることは否めません。

「若い」ということを考えることは「老い」を感じていることの裏返しだと思います。年齢や体力面からいいますと、「老い」を感じて当たり前なのですが、精神面ではかなり頑強に「老い」を拒否しているのが現状です。ただ現実は厳しく、時に気持ちがなえることがありますが、負けるもんかの心意気で、まずは体力を維持するとともに、なるべく若い人たちとも交わって彼らから若さを吸収するようにしております。

具体的には、体力維持のために、週1〜2回、約1時間のスロージョギング(ほぼ歩くスピードでジョギングをする)をするほかは、雨が降らないときには事務所まで(約3キロ?)を40分くらいかけて歩いて通勤することなどをして、体力の維持を図るとともに、平均して月に1〜2回くらいの割合でゴルフをするなどして楽しみながら体調の維持に励んでおります。また、私は、これまでもこのコラムでしばしば取り上げましたが、学生時代に少林寺拳法部に在籍していましたので、その長老OBとして多くの現役諸君や若いOB 、OGたちと交流できるという特権を活用し、なるべく多くの若い人たちと意見交換できる場に出るようにしております。

しかしながら、私がお付き合いをしている同じ世代の友人知人たちは、すでに定年を迎え、「老い」を体現している人が増えていると感じることが多くなりました。もちろん年齢を感じさせない人もいますが、総じて年相応になりつつあるのかなと実感することが多くなりました。

その原因としては、やはり外に出て働かなくなっている、ということかなと思います。幸か不幸か、私は定年のない仕事をしているため、いまだに毎日ほぼ定時に出勤し、必要に応じて遅い時間まで業務をこなしております。肉体的には勿論のこと、精神的にも負担ですが一方で働き甲斐というか、やりがいのある時間を過ごしているともいえます。もちろん、年金生活をしている友人たちもそれなりにやりがいのあることをし、充実した時間を持っているとは思いますが、何かが違うような気がしています。彼らが悠々自適に使える時間を持っているのに対して、こちらは仕事に追いまくられて時間に縛られているからかもしれません。どちらが良いかというと、当然自分でコントロールできる時間を持っているほうが良いに決まっているとは思うのですが、仕事など自分でコントロールできないことに追いまくられるような時間を過ごしているほうがなぜか充実感が味わえるのです。私が精神的に未熟だからかもしれませんが、違った見方をすれば、まだまだ精神的に若いという気もします。人は年齢を重ねていけばそれ相応に落ち着いてくるもので、いくつになってもバタバタとあがいているのはみっともないとも言えます。それでも私はいつまでもあがいていたいと思っています。いろんなことに好奇心を持ち続け、素敵なことに感心し感動できれば、人生も楽しくなると信じているからです。それと体力も充実してくれればまさに自分は「若い」ということを実感できるのではないかな、との希望的観測を持ち続けております。

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