弁護士コラムバックナンバー

飛ぶバット

石田 英治

 弁護士登録をした初年度から弁護士会の野球部に入り、今年で20シーズン目になります。選手は全員弁護士であり、弱そうなイメージを持たれるかもしれませんが、ほぼ全員が高校野球以上の球歴を有し、現在のレギュラーメンバーのうち2人は甲子園出場経験者、その他にも六大学野球で活躍した選手が何人かおり、決して弱いチームではなく、本格的な活動をしております。ちなみにTVでお馴染みの北村晴男弁護士も当チームに所属しており、かつては内野のレギュラー選手として活躍していました。私の現在の地位は監督代行です。残念ながら、加齢による衰えには勝てず、数年前に選手としては一線を退きました。

ところで、私がチームに所属して暫くの間、バットと言えば金属製のものが主流でした。しかし、2003年に軟式野球界に革命が起こったのです(当チームは硬式ではなく、軟式の野球部です。)。それがいわゆる「飛ぶバット」です。初めてこの言葉を聞いた人には、何のことだか全く分からないと思いますが、軟式野球界では「飛ぶバット」というだけで皆が共通の認識を持つ、ある特定の種類のバットを意味する普通名詞になっています。その代表がミズノ社の開発したビヨンドマックスです。

かつて軟式野球界では、軟式のボールは飛ばないというのが定説でした。「飛ぶバット」が登場する前には、軟式のボールの飛距離は硬式の7〜8割程度と言われていたように思います。何故軟式のボールが飛ばなかったかと言えば、軟式のボールは素材がゴムで空中構造のため軟らかく、固い金属のバットにぶつかった衝撃でボールがつぶれて凹むように変形し、その結果、バットの反発エネルギーが損なわれるということのようです。「飛ぶバット」の開発に着手する前のミズノ社では、社員の間で「だったら、バットを軟らかくすれば良いのではないか」という発言が冗談として交わされていたようですが、バットは固いものという固定観念があり、その話が具体化することは長期間なかったようです。しかし、スタッフの1人が、あるテレビ番組で、風船と風船がぶつかり、その風船がお互いに勢いよく跳ね返るシーンを見て、直感的にひらめいたそうです。ミズノ社では試しにウレタンスポンジを木製バットに巻き付けて反発実験を行ったところ、その反発力がアップすることが判明し、この実験結果を受け、それまで不可能と言われていた軟らかいバットを生み出すために開発チームが動き始めることとなりました。ミズノ社で最初のキックオフミーティングが開催されたのは2000年10月だそうです。その後の試行錯誤については、同社のWEBサイトに詳しく説明がされておりますので、詳細はそちらをご覧頂きたいと思います(http://www.mizunoballpark.com/beyond_max/story/.html)。2003年にミズノ社は開発に成功し、打球部に軟らかいウレタン素材を巻き付けた、史上初のバット構造を持つ「飛ぶバット」が登場したのです。その商品名がビヨンドマックスであり、軟式野球界では、既存の金属バットと区別する意味で「飛ぶバット」という非常にベタなネーミングが普及するようになりました。打球部のウレタン素材は指で軽く押しただけで凹む程軟らかい、それまでの常識を覆す画期的な商品でした。

「飛ぶバット」の登場は衝撃的であり、発売当時の軟式野球界の興奮はすさまじいものでした。我がチームでもすぐに購入して試したところ、確かにそれまでの金属バットとは飛距離が格段に違いました。今までに体感したことのない打球の伸びも実感できました。金属バットと比べ1割程度飛距離は伸びたように思います。1割というと、それ程大したことはないのではないかと思われるかもしれませんが、軟式野球界では重大な意味を持つ効果でした。というのも、前述のとおり、金属バットを使った場合、軟式ボールは硬式ボールと比べ飛距離が7〜8割程度しかなく、硬式で100メートル飛ばせるバッターでも、軟式では70〜80メートル位しか飛ばないことになります。本格的な野球場のフェンスは最短でも両翼まで90メートルはありますので、硬式で柵越えのホームランが打てるバッターでも軟式ではフェンスを超えることは至難でした。私も「飛ぶバット」が登場する前の7年間、金属バットで両翼90メートルのフェンスを越えたのは1度しかありませんでした(千葉県の松戸市民球場です。)。それまで、多くの軟式野球選手にとって、柵越えホームランは夢でしたが、「飛ぶバット」の登場で実現可能性が一挙に高まりました。

その後、今日まで私は「飛ぶバット」で20本近くの柵越えホームランを打つことができました。また、私以外の選手が柵越えホームランを打つシーンも数多く目にしてきました。しかし、悔やまれるのは「飛ぶバット」が登場した時、私は既に30代後半であり、力が衰えつつあったことです。「飛ぶバット」が登場する前に、福岡ドーム(現ヤフオクドーム)で試合をしたことがあるのですが、その時、金属バットで左翼フェンスまで2〜3メートルの距離に届く打球を放ったことがあります。現在の福岡ドームには、ラッキーゾーン(ホームランを出しやすくするために意図的にフェンスの手前の外野フィールド内に柵を施すことがあり、その柵と本来のフェンスの間の空間のことを言います。)があり、もし当時もラッキーゾーンがあれば、届いていたかもしれませんが、「飛ぶバット」であれば本来のフェンスも越えていた可能性があります。また、名古屋ドームでも試合経験があり、金属バットで左中間に大飛球を放ち、ワンバウンドで4.8メートルの高いフェンスを越えたこともありました(おそらくプロ野球選手でも打ったことはない、軟式特有の珍しい現象だと思います。)。かつてロッテが使用していた川崎市民球場(現在は既に取り壊されております。)では金属バットで左中間の金網フェンス上部に直撃する打球を放ったこともあります。いずれも「飛ぶバット」であれば、柵越えホームランであった可能性が高いと思っています。プロが使う広い球場で柵越えホームランを打つことはアマチュア野球選手の夢であり、その後、私は、札幌ドーム、西武ドーム、横浜スタジアム、大阪ドーム、広島のマツダスタジアム等でも試合をさせて頂いたことがありますが、年々身体能力は衰え、「飛ぶバット」を使っても柵越えホームランは実現できずにおります。現在の年齢を考えれば、今後両翼100メートルを超すプロが使う広い球場で柵越えを打てる可能性はないと諦めております。夢は夢のまま終わりました。

自慢話が少々長くなりましたが、話を「飛ぶバット」の開発に戻すと、私が興味深く思ったのは、「飛ぶバット」がハイテクではなくローテクの部類の発明であったことです。イノベーションのほとんどは既存の知識の組み合わせで生み出されるものであるということはよく言われることです。当時、バットという道具とウレタンという素材はどちらもありふれたものでした。しかし、この2つを組み合わせるという発想はそれまで誰も思い付かなかったものです。発明王のエジソンは「天才とは99%の努力(perspiration)と1%のひらめき(inspiration)である。」と言ったそうですが、1%のひらめきがなければ天才にはなれないものの、逆に、その1%のひらめきさえあれば、残りの99%は努力で何とかなるということであれば、心強い言葉にも聞こえます。ミズノ社で「飛ぶバット」を最初に企画した人は、技術系の社員ではなく、いわゆる文系の社員であったとどこかで聞いたことがありますが(調べたのですが、裏は取れませんでした)、理系ではない、文系の人間にも天才になるチャンスは転がっているようです。

以上

関連するコラム
↑TOP