立退料を増額する方法
1 立退料が議論される場面
ある不動産が,オフィスとして,あるいは店舗や倉庫として,賃貸されているとする。
ここで,不動産の所有者は,再開発などを背景に,テナントに立ち退きを要求する。
ところが,テナントは(普通借家であれば)借地借家法で保護されており,正当事由がない限り,退去に応じる必要はない。
そこで,正当事由の「補完要素」として登場するのが,立退料である。
実務では,正当事由の有無(お互いの使用の必要性の大小など)を争いつつ,お互いが立退料の額を交渉し,折り合えば任意の立ち退きが実現する。
折り合わなければ,訴訟になり,訴訟鑑定(不動産鑑定士による立退料の鑑定)が行われ,それを参考に,裁判所が立退料を決めることになる。
私は,弁護士であり,かつ,不動産鑑定士でもある専門家として,この手の事件にかなり関わってきたのだが,これまでに得た知識と経験をもとに,以下では,貴社(あなた)が立退料を増額させたい(減額させたい)と考えているとして,どのように対応すれば,その希望が実現する可能性が高まるのか,ご説明しようと思う。
2 立退料の増額(減額)を求める事件で必要となる知識
さて,ここでは立退料の決定に至るロジック(理論的な背景)が最も重要な要素となるのだが,この点が,必ずしも十分には弁護士に理解されていない。
提携している,あるいは裁判所から選任された不動産鑑定士に丸投げになっている場合も見られる。
貴社(あなた)が立退料を増額(減額)したいと思っているとしたら,相談した弁護士に,「立退料はどう決まるのか?」と聞いてみて欲しい。
そうすると,「判例上,統一的なルールはない。個別具体的に決まる。」という回答を得ることが,ほとんどだと思う。
果たしてそうだろうか。
私は,判例をつぶさに検討すると,一定の統一的ルールが見いだせると考えている。
そのルールの説明の前に,予備知識として,まず,「鑑定評価基準」と,「用対連基準」の内容を確認してみよう。
3 不動産鑑定評価基準
「不動産鑑定評価基準」(事務次官通知)には,以下の記載がある。
「借家権の取引慣行がある場合における借家権の鑑定評価額は,当事者間の個別的事情を考慮して求めた比準価格を標準とし,自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除し,所要の調整を行って得た価格を比較考量して決定するものとする。借家権割合が求められる場合は,借家権割合により求めた価格をも比較考量するものとする。…」
「借家権の価格といわれているものには,賃貸人から建物の明渡しの要求を受け,借家人が不随意の立退きに伴い事実上喪失することとなる経済的利益等,賃貸人との関係において個別的な形をとって具体に現れるものがある。この場合における借家権の鑑定評価額は,当該建物及びその敷地と同程度の代替建物等の賃借の際に必要とされる新規の実際支払賃料と現在の実際支払賃料との差額の一定期間に相当する額に賃料の前払的性格を有する一時金の額等を加えた額並びに自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除し,所要の調整を行って得た価格を関連づけて決定するものとする。」
以上のように,「鑑定評価基準」には,任意ではない立ち退きの場面の「借家権」の評価について,
①代替不動産を借りるのに必要な賃料と,現在の賃料との差額を出し,これに一定期間(残存賃貸期間など)を乗じて,これをベースとして「借家権」の価格を出す方法(賃料差額法)
であるとか,
②自己使用を前提として建物及びその敷地の価格を出し,これと賃貸を前提として建物及びその敷地の価格を出し,それらの差額こそが「借家権」の価格なのだと考える方法(控除法)
がある旨,記載されている[1]。
が,ここで疑問を感じないだろうか。
というのは,上記のとおり,「鑑定評価基準」には,「借家権」の額はこのように算出する,という記載があるのだが,「立退料」の額はこのように算出する,という記載はないのである。
両者の関係は,どう理解すれば良いのだろうか。
4 用対連基準
ここで登場するのが,用対連基準である。用対連基準というのは,正確には,「公共用地の取得に伴う損失補償基準」と「公共用地の取得に伴う損失補償基準細則」のことである。元々は公共用地の取得の場面のための基準である。
用対連基準では,公共用地を取得する場合に,①借家権補償,②工作物補償,③営業休止補償,④動産移転料補償,及び⑤移転雑費補償を補償すべきものとしているのだが(通損補償),実務では,これを普通の立ち退きの場面で応用するのである。
細かい話は省略するが,用対連基準,不動産鑑定評価基準,裁判所の判断の関係は,以下のとおりとなる[2]。
5 結局,立退料は,どのように決まるのか
さて,色々述べてきたが,結論を述べると,まず,「立退料」は「借家権」の対価を含む,より広い補償の対価である,という理解になる[3]。
そして,「立退料」の算定に当たっては,「鑑定評価基準」の他,「用対連基準」に書かれたルールも加味しなければならない。
以上から,立退料について説得的な主張をするためには,①「鑑定評価基準」で「借家権」の価格の出し方を理解した上,②「用対連基準」で営業補償等について理解し,これらを踏まえ,③最後に,「法理論」の発想で正当事由の強弱の主張を適切に行う必要がある,ということである。
そして,以上のとおりで,借家権価格に関する「鑑定評価基準」と,借家権補償の他,移転費用や営業補償を含めた「用対連基準」とで,ダブル・スタンダード状態なのだが,これについては,判例を詳細に検討すると,
⑴テナントが自己居住用で使用している場合には,大家の希望する使用の意図はともかくとして,移転費用相当額が中心となり,
⑵テナントが店舗・オフィス等(の自己居住以外)で使用している場合であって,大家は自己居住で使用したいと考えているときには,移転費用相当額を含む営業補償が中心となり,
⑶更に,テナントは店舗・オフィス等(の自己居住以外)で使用しており,大家も店舗・オフィス等の自己居住以外で使用したいと考えているときには,借家権価格を中心としつつ,移転費用相当額を含む営業補償を加算する
という立退料の決定ルールが導かれると解されている[4]。
6 立退料を増額(減額)したいときに,貴社が行うべきこと
立退料の額が上記のように決定されるとすると,例えば,立退料を増額したい場合に行うべき作業は以下のようになる(減額したいなら,同じ観点を用いて,逆のベクトルに作用するように理論構成すれば良い)。
⑴ あなたが自己居住で使っているのに,退去を求められているなら,移転費用相当額の主張立証を適切にすれば良い。
⑵ 貴社が店舗やオフィスとして物件を使っているのに,大家が自己居住を理由に退去を求めているなら,移転費用相当額のほか,営業補償を適切に主張立証すれば良い。特に営業補償については,「用対連基準」を使って,主張立証すべきである。
⑶ 貴社が店舗やオフィスとして物件を使っているのに,大家が自己居住の必要もないのに退去を求めているのであれば(再開発の場面など),借家権価格,移転費用,営業補償等を適切に主張立証すれば良い。
特に上記「⑶」は最もアドバンストな場面であり,法理論と,鑑定理論(「鑑定評価基準」)と,「用対連基準」の全てを使わないと,適切な主張(反論)が出来ないので,注意が必要だ。
7 私が代理した事案における,直近の増額(減額)実績
さて,私は,弁護士と不動産鑑定士を兼ねる専門家として,この手の事件を多く手掛けてきた。最近の実績をいくつか挙げると,
⑴ 賃貸人から1000万円の立退料を提示された事案で,当職が賃借人(店舗)側代理人として介入した後,立退料が3500万円まで増額した事案
⑵ 賃貸人から700万円の立退料を提示された事案で,当職が賃借人(店舗)側代理人として介入した後,立退料が2000万円まで増額した事案
⑶ 賃貸人から3000万円の立退料を提示された事案で,当職が賃借人(店舗)側代理人として介入した後,立退料が8500万円まで増額した事案
⑷ 東証一部上場企業のグループである再開発会社(賃貸人)が,賃借人(事務所)に対し立ち退きを要請していたところ,賃借人から,約8000万円の立退料を要求されたのに対し,当職らが賃貸人側代理人として介入した後,3000万円台まで減額した事案
などがある。
いずれも,法理論の他に鑑定理論を駆使して良い結果を得たものと自負している事案である。
以上
[1] なお,借家権の取引慣行がある場合の鑑定評価手法は別に規定されているが,借家権の「取引慣行がある」といえる場面は現実には相当少ないので,実務でそれらの手法が採用されることは少ない。よって,本稿では説明を省略した。
[2] 公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会鑑定評価基準委員会借地・借家権評価小委員会『研究報告 借家権の鑑定評価に係る論点整理』(令和元年6月)43頁を参照した。
[3] 前掲『研究報告 借家権の鑑定評価に係る論点整理』(令和元年6月)40頁参照。
[4] 松田佳久『新版 判例と不動産鑑定 借地借家法理と鑑定実務』(株式会社プログレス・2021年)の「第7章」に詳細な検討があるので,参照されたい。
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