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専門訴訟と弁護士

齋藤 隆

 我々弁護士が取り扱う民事事件には,大きく分けて経済的な紛争に基づくものと人事上の紛争に基づくものとがあります。後者は,夫婦関係や親子関係等の身分的な事項と遺言や遺産分割等の相続に関する事項が対象となります。戦後社会で中心的な役割を果してきた団塊の世代が老齢を迎えるとともに,出生率の低下に伴う少子高齢化が進展した影響と思われますが,最近では人生の終着点における人間の生き方が問われるような人事や相続を巡る事件が増えてきました。基本的な生活単位である家庭内での問題ですので,事態は深刻なことが多く,このような紛争をどのように解決していくかがこれからの司法の分野での大きな課題の一つとして取り上げられています。従来よりも家庭裁判所に係属する事件の割合が増加したことがこの傾向を裏付けています。

他方,経済的な紛争は,社会生活の複雑化と経済構造の変化の波を直接受けて,その様相を著しく変えてきています。その中で特徴的なのは,専門訴訟といわれる類型の事件の比重が高くなっていることであると指摘されています。

専門訴訟とは,紛争の発生に専門技術的な事柄が関与しているため,その解決,特に訴訟での審理・判断に当該技術的な分野に関する専門的な知見が必要とされるタイプの事件のことです。この種の事件は,実は最近に始まったことではありません。戦後の高度成長期に多発した公害訴訟や一時期全国的に著名な河川を舞台して提起された水害訴訟等は,被害発生の機序を知るために,機械工学や化学と医学的な見地(公害紛争の場合),水流力学や土木工学と気象学的な見地(水害訴訟の場合)からの主張・立証が必要ですので,まさしく事案の解明にその分野に関する専門的な知見が必要となりました。しかし,これらの訴訟は,被害が甚大で深刻であるため社会的な耳目を引く大事件として取り上げられましたが,全国的に大量に発生したわけではありません。ところが,昭和40年代頃から医療上の過誤と欠陥建築物に関する訴訟が全国的に大量に提起されるようになりました。この医療訴訟や建築訴訟に関しては,医学や建築学に関する専門的な知識がなければ事件に対処できないにもかかわらず,法律家の側ではその準備が不足していたことから,審理が遅滞し,解決に至るまでの期間が長期化し,大量の未済事件が係属することになりました。これに拍車をかけたのが平成年代に入ってからの情報化社会の進展であり,高度な情報技術を支えるハード面とソフト面に関する紛争が多発し,IT訴訟は,先の医療訴訟や建築訴訟とともに専門訴訟の花形として登場してきました。

そこで,この種の専門訴訟をどのように解決するのかが司法の分野での課題として取り上げられるに至りました。一般的には,戦後の複雑化した訴訟への対応策として平成8年民事訴訟法の制定(平成10年1月施行)により,争点整理手続の充実と集中証拠調べにより相当程度の運営改善がされたといわれていますが,それでも専門訴訟への対応が不十分であり,その強化が必要であると平成13年の司法制度審議会の意見書で指摘され,平成15年改正民事訴訟法(平成16年4月施行)により専門委員制度の導入を始めとするいくつかの専門訴訟対策が導入されました。そして,各地の裁判所において医療や建築に関する専門部が設置され,司法の側でもある程度専門化する取組がされています。原告として訴訟を提起し,被告側の立場で防御をする職務に従事している弁護士の側でも,専門的な知識と経験がなければ,この種の訴訟に対応できないことから,医療や建築に関する事件を数多く手掛ける過程で専門化が図られ,また,対象分野に関する専門技術者と協力関係を築くなどして,常に最新かつ適切な専門知識を導入できる態勢を整えることに努めました。

当事務所では,従前から典型的な専門訴訟として位置付けられている知的財産権訴訟やIT関係訴訟について,担当弁護士自身が対象分野に関する専門的な知見を修得し,また,必要な場合には技術的な知見について専門家の協力を得て,導入した最新の知見に基づいて対応できるような態勢を整えており,数多くの実績を有しています。このことはよく知られていることと考えていますが,医療訴訟や建築訴訟についても,専門的な対応ができるように態勢を整備しています。

医療訴訟や建築訴訟において最も重要なことは,まず受任当初の調査において事実関係を正確に把握し,これを専門的な知見に基づいて適切に分析し,そこに伏在する法律的な問題点を解明することです,その際,最も重視されるべきは,医療契約や建築請負契約の締結及びこれに基づく業務を実施する過程で作成される各種の証拠類を的確に収集することです。医療紛争の場合には,診療録,検査記録,入院記録等の医療記録が作成されていますし,建築紛争の場合には,設計図及び仕様書等から成る設計図書と各種工事図面があります。そこで,これらの証拠を収集した上,実際の業務とこれらの資料とを対比することが出発点となります。この段階での資料の検討と分析が適切に行わなければ,紛争解決の方針が決定できないことになります。また,その後の相手方との交渉や訴訟提起された場合の審理の経過においても,常に事実関係の正確な把握と適切な分析によって判断を誤らないようにすることが肝要です。その際にも当該分野に関する専門的な立場からの評価を常に念頭に置いておく必要がありますので,不断に専門的知見の導入を図っておくことに心掛けることになります。

以上のような専門訴訟への対応は困難を伴い,時間と労力を費やすことが多いのは否定できませんが,現代社会における紛争を解決するためには避けて通ることのできない道であり,これを達成することが依頼者の利益となり,また,弁護士としての生きがいにもなることだと考えて取り組んでいます。

本コラム中の意見や推測にわたる部分は、執筆者の個人的見解であり、ひかり総合法律事務所を代表しての見解ではありません。
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