自白と裁判員裁判(栃木女児殺害事件より)
今年4月,小学1年生の女児が殺害された事件で,勝又拓哉被告に対し,宇都宮の地方裁判所にて裁判員裁判による無期懲役の判決が出されたことはご記憶だと思います。この事件は,2005年に栃木県今市市に住む小学1年生の女児が行方不明となり,その後茨城県日立大宮の山林で刺殺体となって発見され,約10年後の2014年に勝又被告が逮捕されました。
裁判では,凶器や被害者の遺留品などの直接的物証はなく,法廷で取調べの状況を録音・録画した映像を7時間以上にわたって再生し,自白の任意性・信用性の有無が最大の争点でした。
勝又被告は2014年1月に逮捕されましたが,逮捕時の罪名は,女児殺人ではなく,商標法違反(偽ブランド)でした。検察官の主張によれば,勝又被告は,逮捕後約1カ月後の同年2月18日の検察官の取調べ時に,最初に女児殺害事件について自白した,とのことです。その後,勝又被告は最初の自白から3カ月半経過した同年6月3日に女児殺害事件で再逮捕され,同月女児殺害について起訴されました。
以上のように,勝又被告は2014年1月に別件で逮捕・勾留され,同年2月18日に女児殺害についての最初の自白があり,それから3ヶ月半後に女児殺害事件により再逮捕され,同年6月に起訴されたことになります。
この裁判で再生された取調べ状況の録画映像は,検察官が女児殺害事件で再逮捕された6月3日以降のものしかないものと思われます。
すなわち,勝又被告が最初に逮捕されて女児殺害事件で起訴されるまでの約5か月間のうち,録音・録画がなされたのは再逮捕後起訴されるまでの23日間のみとなり,最初の逮捕から女児殺害事件による逮捕までの4カ月余の間は,もっぱら女児殺害について取り調べが行われていたにも関わらず,その過程は録画されていませんでした。
勝又被告は法廷で,3月19日の取調べの際に,「殺していないと言ったら平手打ちをされ,額を壁にぶつけてけがをした」「殺してごめんなさいと50回言わされた」「自白すれば刑が軽くなる,と言われた」と述べていますが,もちろんそのような状況は録画されていません。
判決は,客観的証拠について「被告人が犯人でなければ合理的に説明できない事実は含まれていない。」とする一方で,自白については「想像に基づくものとしては特異ともいえる内容が含まれている。体験した者でなければ語ることができない具体的で迫真性に富んだ内容だ。」として,自白が本人の意思に基づいてなされたとし,それを証拠として有罪を認定しました。
いうまでもなく,刑事裁判において検察官は,起訴事実に対し,被告人が有罪であることについて証拠に基づき証明する立証責任(説明責任)があります。かつ証拠の適法性についても立証責任(説明責任)があり,自白については,その自白が強制や威迫,誘導でなされたものではなく本人の意思に基づいてなされたものであることについて説明する義務があります。
勝又被告の場合,裁判で再生された録画映像は再逮捕後のものだけです。再逮捕されるまでの約5カ月間は,ごく一部を除きほとんどが録画されていません。
しかし,その期間内の取調べについても,大半が女児殺害について費やされていたことは容易に推測されます。というより商標法違反は別件逮捕(もっぱら本犯を捜査するためにわざわざ別の罪名で逮捕・勾留すること)ですから,1月に商標法違反で逮捕した当初から,女児殺害事件の取調べがなされていたと思われるにも関わらず,裁判に出された録画映像はすでに自白がされた後のものだけです。
自白が本心でなされたかどうかを判断するには,自白に至る状況にかかっています。自白後はマインドコントロールされてしまいますから,その後の状況は真実を覆い隠してしまいます。そのため,自白が本心からされたかどうかの判断の決めては「自白が出された過程」にあります。自白に任意性があると言えるためには,自白に至る過程を録画し,その提出を義務付けるべきです。一部だけを切り取って提出することは許されるべきではありません。
この裁判については,自白に至る過程が録画されていないことを理由に,録画映像が出されておらず,勝又被告が自白の強要,誘導があったと主張しているのにも関わらず,それを一方的に排除して自白の任意性を認めたことに強い疑問を感じます。
前記の通り判決は,客観的証拠について「被告人が犯人でなければ合理的に説明できない事実は含まれていない。」とする一方で,自白については「想像に基づくものとしては特異ともいえる内容が含まれている。体験した者でなければ語ることができない具体的で迫真性に富んだ内容だ。」としていますが,これは本末転倒の考え方だと言わざるを得ません。
なぜなら,先に述べたように,最も強く考慮されなければならないことは,自白を取り除いた客観的証拠だけで有罪と言えるかどうかであり,客観的証拠だけで有罪とは言えない場合,自白を見てもっともらしいと判断することが,いかに危険であるかは,これまでの数々の冤罪事件が証明しています。
それほど自白の判断は誤りやすく,顔つきや見た目の印象は,時と場合により,人によって様々で,それだけで判断することはもっとも危険と言わなければなりません。
今回の事件で特徴的なことは2点あります。
1つは,今回刑事訴訟法が改正され,裁判員対象事件についての取調べは,すべての過程の録音・録画が義務付けられました。
しかし,勝又被告の事件のように別件で逮捕した場合には,そこでの取調べ状況は録音・録画が義務付けられていません。捜査官は,別件で逮捕すれば自白を強要しても録音・録画はしなくてもよいのです。自白を得た後に本件について逮捕し,自白を維持する状況を録音・録画すれば,任意性があるように見せかけることができるのです。
従って,裁判員対象事件については,逮捕・勾留に関係なくすべての取調べ状況を録音・録画することを義務付けしなければなりません。
勝又被告の事件で,裁判員からも「録音・録画されていない部分で何かあったという議論になるので,録音・録画をやるからには全部したほうがいい。」という意見が出されていたこと(4月9日読売新聞朝刊)に注目してください。
もう1つは,自白を証拠として採用するかどうかの判断,すなわち自白が任意になされ,強要や威迫,利益供与等による誘導がなかったという判断は裁判官3人だけでするということです。
この事件では自白が証拠として採用されなければ,有罪にできません。
よって裁判官3名のみで,任意性があるという判断し証拠として採用してしまえば,裁判員たちはもはや何を言っても無駄,ということになります。本件のような自白が有罪・無罪の決め手となるような裁判では,自白の任意性(本人の意思に基づいて自白がなされたこと)の判断が有罪・無罪の判断の核心です。
このような手続きの核心から裁判員を排除することは,裁判への市民参加の意義を奪い取るものです。
裁判員制度の制度設計に際して日弁連は,任意性の判断に裁判員を参加させるよう主張しましたが,法律判断は裁判官の専権であるとの理由で認められませんでした。しかし,任意性判断はまさに事実の有無の判断と同様に,疑う余地なく自白が本心からなされたと言えるかどうかという事実の判断であり,有罪・無罪の判断と同じレベルの問題であり,この判断に裁判員も参加させるべきだと考えます。
裁判員制度については,いろいろな評価がありますが,市民が裁判に参加するようになって,刑事司法の透明化は格段に進化していると思います。勝又事件も従来の裁判官だけの裁判であれば,あまり議論されることもなく有罪にされたと思います。裁判員が参加していることにより,録音・録画のやり方や範囲についてもより透明化を図る方向が開かれると確信しています。
刑事司法については,代用監獄の問題(逮捕後23日間,被疑者を捜査官が自由に出入りできる警察署に設置されている留置場に勾留すること),弁護士の取調べの立会権等ほかにもいろいろな課題がありますが,なによりも刑事司法に市民が関心をもって参加し,市民としての義務を尽くし,捜査当局に秘密を許さないことが最大のポイントです。
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