贖罪寄附
1 贖罪寄附をした方がよいか
弁護人をしていると、被告人から贖罪寄附をすると、軽い刑になりますか、あるいは執行猶予が付きますかと質問されることがあるのではないだろうか。
あるいは、弁護人の判断として、贖罪寄附を勧めた方がよいと考える事件もあろう。
2 贖罪寄附の定義
贖罪とは、「金や品物を出して罪のつぐないをすること。つみほろばし」とある(日本国語大辞典第二版)。
そうすると、贖罪寄附とは、罪の償い(罪滅ぼし)のために行う寄附ということになる。
寄附の相手方として、例えば、私が所属する第二東京弁護士会では、贖罪寄附を受け入れることを広報している。
その他、寄附を受け入れている団体なら候補となり得る。
3 贖罪寄附に対する否定的見解
お金で裁判の結果を買うようなことが許されるか。
お金のある人が裁判上有利になるのは平等ではない。
このような批判が考えられる。
もちろん、このようなことがあってはならない。
そこで、もう少し、踏み込んで、考えて見たい。
4 被害弁償との違い
いわゆる財産犯の場合、財産的損害が回復しているかが、量刑上、重視される。
例えば、無銭飲食という犯罪があるが、逮捕された後、親族がその飲食費を支払って示談したとする。
初犯であれば、起訴猶予で終わるだろう。
窃盗、横領等の犯罪でも被害の回復は、相当大きな意味を持つ。
したがって、弁護人としては、第一に、被害の弁償を試みることになる。
さらに、犯人を許しますという条項(宥恕文言)が入った示談書が作成されれば、言うことはない。
交通事故の事件でも、交通事故によって生じた損害の賠償や示談は、量刑上、大きな働きをしている。
強制性交等の罪でも、示談がなされることがある。
かつて親告罪であったときには、示談を成立させ、起訴前であれば、告訴を取り消してもらうこともあった。
しかし、現在では、親告罪でなくなった。
示談が、量刑上、持つ意味は変化していくのだろうか。
それはともかく、ここで支払われる金銭はどういう意味を持つか。
通常、被害者(さらにはその家族)に対する慰謝料である。
謝罪金の意味が含まれている場合もあろう。そうすると、贖罪に接近する。
このような被害弁償の場合でも、金銭が支払われるが、それが量刑上、価値を持つことは、特に疑問とされてこなかった。
それでは、贖罪寄附の場合は、どう考えたらよいのだろうか。
5 贖罪寄附がなされる場面
被害者が存在する犯罪の場合は、まず、被害弁償の問題となる。
そうすると、贖罪寄附が活動する舞台は、例えば、①被害者が存在しない犯罪の場合とか、②被害者が存在しても、被害弁償ができなかった場合(受領拒否)などが考えられる。
6 贖罪寄附は何を証明するか
贖罪寄附を有利な情状として考慮する根拠はどこにあるか。
犯した罪を「真摯に反省していること」は、刑を減軽する理由となる。
これは、万国共通であろう。
真摯な反省がにじみ出ている寄附は価値がある。
しかし、それが感じられないような寄附は、価値が少ないことになる。
裁判官をしていた時、暴力団の幹部が、高額の贖罪寄附をしたことがあった。
ここで問われなければならないのは、それがどこから出たお金かである。
聖書のエピソードが想起される。
金持ちは、多額でも、あり余っている中から金を献金箱に入れたが、貧しいやもめは、少額でも、乏しい中から持っているものすべてを入れたとして、讃えられるのである(マルコ福音書12の41)。心が問われている。
これと多少関連するが、例えば、ある犯罪により、多額の利得を得ていることが記録上、明らかなケースがある。
法律上、それを没収、追徴できない場合、その利得を吐き出す意味で、贖罪寄附をするとしたら、真摯な反省の徴として、量刑上、考慮できるのではないだろうか。
裁判所としては、そのような利得が被告人の手元に残ったまま、寛大な刑を言い渡すことに落ち着きのなさを感じることがある。
7 最近目にしたケース
インターネット上に、一つの裁判傍聴記が掲載されていた。
あるプロ野球選手が高速道路でスピード違反をして公判請求をされた事件で、被告人が、交通遺児育英会に相当額の寄附をした。
ところで、速度違反の超過が一定程度を越えると、略式手続きによる罰金では済まず、正式裁判が請求される。
正式裁判においては、懲役刑が求刑される。
公務員であれば、執行猶予が付いても失職することも起きる。
正式裁判で懲役刑が求刑されても、初犯であれば、執行猶予が付くことが予測される。
それでは、わざわざ、贖罪寄附をすることは無駄ではないかという意見がありそうだ。
そうではないと思う。
交通事故の被害により苦境にある人々に対して寄附をして援助し、危険な速度違反の「罪のつぐない」をすることは、社会人としての責任を果たすことになると思う。
速度違反で検挙されたことを不運と恨むより、よほどポジティブな行動ではないだろうか。
おそらくは、弁護人の発案によるのだろうが、社会に良い影響を与える行為だと思う。
また、裁判の予測は、あくまでも予測にすぎないから、執行猶予の獲得を万全にする意味もあったのであろう。
8 贖罪寄附が果たす役割
罪を認めている事件では、刑事事件の法廷は、贖罪の儀式の形を呈する。
これは誇張ではなく、実感である。
弁護人、検察官、裁判官からの質問を受け、傍聴席の家族などの前で、自らの反省を語り、この裁判を機会に人生を再出発することを誓うのである。
その裁判において、口先だけで「反省しています」と言うよりは、贖罪のために何らかの行動をした方が、その真摯さをアピールできる。
そこに、贖罪寄附の本質がある、と思う。
裁判所としては、贖罪寄附による真摯な反省を認めたとしても、それはあくまでも、量刑事情の1つに過ぎないから、それを過大に評価することは許されない。
最終的な量刑判断が、刑を加重すべき事情と刑を減軽すべき事情との総合評価であることを忘れてはならないのである。
以上