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民事上の権利の実現とその保全

齋藤 隆

 社会における経済活動の多くは,当事者間の合意,すなわち契約に基づいて行われています。お互いに取決めしたことを守り,自己の債務をきちんと履行すれば,何ら問題はないわけで,法や司法制度が介在する余地はありません。しかし,当事者の関係が常に順調に推移するとは限らず,約束を守らず,債務を履行しないため契約上の権利の実現が阻害されるという事態が往々にして生ずることは避けられません。ここで民事上の権利をめぐる紛争が発生することになります。その原因としては,契約を締結したことはないとか,既に義務を履行済みであるというような理由で権利の存否そのものが争われることもあれば,契約に基づき債務を負っていることは間違いないが,資金がないために弁済できないという場合もあります。

 民事上の権利の存否やその内容について争いがある場合は,まずその権利の確定を求めて,裁判を起こす必要があります。民事訴訟は,権利を主張する者が原告となって訴えを提起することによって始まり,当事者双方が裁判所に提出した主張と証拠に基づいて,裁判所が公権的な判断(判決)を示すことにより紛争を強制的に解決する制度です。争いがある以上,証拠を厳密に検討して判断することになりますし,三審制の下では第1審裁判所の判決に不服があれば,上訴(控訴及び上告)をすることが可能であるため,一定の時間がかかることは避けられません。しかし,判決が確定すれば,民事執行手続により相手方の履行の意思を問うことなく,強制的に権利を実現することができます。その典型が不動産競売であり,判決により債務の履行を命じられた債務者の不動産を差し押さえて,売却した代金を債務の弁済に充てることにより金銭債権の実現を図ることができます。

 民事紛争の中には,権利の存否及び内容には争いがなく,ただ単に,ない袖は振れぬとばかりに,事実上債務の履行を拒絶するというだけのこともあり,実際にはその方が圧倒的に多いというのが実情です。このような場合に,裁判手続を経ることなく,不動産競売を申し立てて債務者の財産を差し押さえる方法があります。それは,契約を締結する際に,債務者の不動産に抵当権等の担保権の設定を受けておけば,債務不履行の事態となったときに,その担保権に内在する換価権能の発動によって,不動産競売の申立てができるためです。判決等の権利の存在を公証する文書を執行裁判所に提出する必要はなく,不動産登記事項証明書等により担保権の存在を証明すれば,不動産競売手続が開始されます。金銭を貸し付けたり,継続的に商品を供給したりするようなときには,消費貸借契約や売買契約の債務者ないしその関係者からその所有する不動産について抵当権の設定を受けて登記を経ることが多いのは,債務不履行となったときに,債権の回収が迅速に行われるようにするためです。このことを反映して,裁判所の不動産競売手続は,判決等に基づく強制執行よりも担保権実行による執行の方が圧倒的に多く,後者が前者の3倍にも及びます。抵当権の設定を受けることは,権利保全手続の典型であると言えるでしょう。なお,抵当権設定登記を経ていれば,その後に不動産が処分されても,所有権を取得した者に対して、自己の抵当権が優先することを主張することができるので,債務者の財産の散逸による執行不能の事態を避けることができます。そして,都市部における不動産競売事件は,順調に処理されており,東京地裁民事執行センターの統計では,売却率は約99%であって,ほぼ完売に近く,売却基準価額に対する落札額の割合を示す買増率は約152%と,高額で売却されているので,あらかじめ不動産に抵当権の設定を受けて債務の引当てを確保しておくことは,極めて有効な手段と言うことができるでしょう。

 それでは,抵当権の設定を受けて登記を経由していなかった場合は,判決に基づき債務者所有の不動産を差し押さえるまでの間にその不動産を処分されてしまえば,いかんともしようがないことになるのでしょうか。確かに,債務不履行の状態が生じてから訴えの提起を経て判決を取得するまでは一定の時間が必要ですし,その間に債務者が執行逃れのために財産を処分してしまおうとする傾向がないわけではありません。このような場合に備えて,金銭の支払を求める権利の実現を保全し,将来の強制執行を実効的にするために,裁判所の決定を得て,債務者がその財産を処分することを禁止してあらかじめ債務の引当てとなる財産を確保しておく制度があります。それは,仮差押えと呼ばれる手続であり,債権者の債務者に対する特定物の引渡請求権(例えば,土地や建物の明渡請求権)の実現を確保するための占有移転禁止の仮処分,債権者の債務者に対する所有権移転登記等の登記手続請求権の実現を確保するための処分禁止の仮処分(前記の占有移転禁止の仮処分と併せて,係争物に関する仮処分と呼びます。),争いのある権利ないし法律関係について現に著しい損害や急迫の危険を受けるおそれのある者のためにそれを回避する方策を講ずることを目的として暫定的な措置を命じる仮の地位を定める仮処分とともに,民事保全法に規定されています。

 仮差押えと仮処分は,どのような権利の実現を保全するためのものであるかによってその性質は異なりますが,将来の民事訴訟において勝訴することを前提として,判決が確定して強制執行が可能になるまでの間に権利の実現を妨げる行為を禁止することも目的とするものであって,民事訴訟に付随するものであること(付随性),仮の救済をするための暫定的措置であること(暫定性),権利の実現を阻害する前に速やかに行われなければならないこと(緊急性),債務者に知れれば権利阻害行為を誘発するおそれがあるため債務者に知れないように行う必要があること(密行性)など,共通する点も多々あります。また,民事保全の手続は申立てによって開始し,裁判所の措置は判決ではなく全て決定で行われること,多くの場合,相手方に生ずる損害を担保するための保証金を積む必要があることもまた同様です。

 民事上の権利に関する紛争が発生し,弁護士にその処理を依頼する場合には,上記のようにあらかじめ保全の措置を講じておかないと権利の実現が困難になる場合もありますので,それまでの交渉の過程において相手方に財産処分のおそれを疑わせるような不審な言動がなかったかを含め,ありのままの事実を説明をしておく必要があるでしょう。

以上

本コラム中の意見や推測にわたる部分は、執筆者の個人的見解であり、ひかり総合法律事務所を代表しての見解ではありません。
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