道は自ら創る ― 高橋是清の生き方 ― | IP Boost Japan

道は自ら創る ― 高橋是清の生き方 ―

[投稿日] 2023.11.28[更新日]
戸田裕二

執筆者:弁理士

戸田裕二

(とだ ゆうじ)

最近、テスラやスペースXを創業した、イーロン・マスクの伝記[i]が出版され、壮絶で波乱の人生が注目されています。日本でもこのような人はいなかったのであろうか? そうだ、高橋是清がいるではないか!と思い至り、数年前に読んだ、「人生を逆転させた男・高橋是清」[ii]、「高橋是清自伝(上・下)」[iii]などを読み返してみました。

知財関係者の間では、初代の特許局長として有名ですが、江戸から明治・大正・昭和の4つの激動の時代に生き、自然体で、おっちょこちょいで、しかし、頼まれた仕事はキチンとこなし、日銀総裁や総理大臣にまでなった人物です。若い頃ずいぶん失敗を重ね、米国で奴隷になったり、酒好きで教職を失職したり、廃坑のペルーの銀山に全財産をつぎ込んで破産しかけた人が、総理大臣になるのです。敗者復活というか、豪胆に 「道は自ら創る」 (The road was made) を実践した波乱万丈の高橋是清の生涯、人生の軌跡を辿ってみたいと思います。

幕末の1854年、幕府絵師の子として江戸に生まれましたが、生後まもなく仙台藩の足軽・高橋覚治の養子になり、わずか満10歳で横浜にあるヘボン塾(現・明治学院大学)に入塾。ここで2年間英語を勉強し、仙台藩命で渡米したのが13歳。ホームステイ先にだまされ気軽にサインしたのが運の尽きで、奴隷として売られるという悲惨な体験をします。14歳で日本に戻ってみると、明治維新(1868年)の真っただ中。森有礼の書生や教官助手になってなんとか毎日を過ごしていましたが、芸者・酒好きが高じて、その職も失ってしまったとのことです。そのときまだ16歳! いくら混乱の時代とは言え、無茶苦茶な生活を送っていたことがわかります。

その後、九州に渡り、唐津藩の英語学校の教員となり、東京に戻って大学予備門で教える傍ら進学予備校の数校で教壇に立ち、廃校寸前であった共立学校(現・開成中学・高等学校)の教員も務めたようです。同時に文部省、農商務省(現・経済産業省および農林水産省)の官僚としても活躍するようになります。

明治17年(1884年)、若干30歳のときに商標登録所長に就任し、翌年、専売特許所長を兼務し、欧米の特許・商標制度視察のために渡航。33歳のときに農商務省の外局として設置された特許局の初代局長に就任し、日本の特許制度を整えました。是清が欧米の視察をする前までは、「国内ではろくな発明もできない」「審査する人がいない」「無用の長物」と議会でも専売特許制度について反対する人が多かったようです。是清が、米国のガゼットや判決録などを5年間分集め、発明に関する審判を特許局で行えるようにして、現在の特許制度の基礎を築いたと言われています。

明治22年(1889年)、35歳のとき、色々な経験を積むのがよいだろうと、官僚としてのキャリアを中断してなぜかペルーで銀鉱事業を行うのですが、すでに廃坑!?のため大失敗。帰国した後に負債を返済したものの、悪評のため2年間定職に就かずフリーターとして落ちぶれた生活を送ります。

しかし、日銀総裁からから声がかかり、明治25年(1892年)、37歳で日本銀行に入行。 日露戦争が発生した際には日銀副総裁として、戦費調達のために戦時外債の公募で捻りだす難交渉を担当し、卓越した「交渉力」で英国・米国などからの巨額の資金調達に成功します。日露戦争が終わった後は、日銀総裁として、また蔵相として積極財政で日本経済の礎を築き、景気回復にも大きな力を発揮しました。

1921年(大正10年)、原敬首相暗殺の後、67歳でショートリリーフの首相になるのですが、1927年(昭和2年)金融恐慌、1932年(昭和7年)犬養毅首相暗殺(五・一五事件)後も、「頼まれ仕事」として首相や蔵相を歴任し、蔵相は7回も務めています。1936年(昭和11年)インフレ抑制のために緊縮策を唱え国防費を削ろうとしたことから、軍部から目の敵にされ、蔵相であった是清は、満81歳で暗殺されてしまうのです(二・二六事件)。

何とも表現しづらい、想像を絶する人生ですよね。 道がないのであれば自ら山に分け入り、道を創る。 日本の知財の制度の「道」を創ったのは、「柔軟性」 「交渉力」 「やりぬく力」 に長けた人物であったことがわかります。

私たちも、地政学リスク・経済安全保障、気候変動、AI活用・DX(デジタルトランスフォーメーション)の進展など、先を見通せないVUCA(Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguity)の時代に生きています。新たな歩みを進めるとき、決してマネはできませんが、是清のような生き方も一つの道しるべになるのかもしれません。

人生100年時代、いつだってピボット(方向転換)してやり直せる! 高橋是清から元気をもらった2023年の晩秋でした。


[i] ウォルター・アイザックソン(井口耕二訳)「イーロン・マスク」(上・下)、文芸春秋社、2023年9月10日発行

[ii] 津本陽「人生を逆転させた男・高橋是清」、PHP文芸文庫、2017年11月22日発行

[iii] 高橋是清・上塚司(編)「高橋是清自伝(上・下)」、中公文庫、2018年3月25日改版発行

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