弁護士コラムバックナンバー

延命措置の意思表示

澤田 奈穗

 先日、私が後見人として関わっている認知症の方が誤嚥性肺炎になり入院した。

 ご本人の嚥下(口からものを飲み込む)機能が低下しており、退院後の療養先の選択に迫られた。

 以前、もっとご本人がお元気なときに、医師同席の下、本人の延命措置の意思確認を行っていたため、その措置を受けられ、かつ、本人の直近の精神状態に合いそうな場所を探すことになった。

 そこで、いくつかの療養型病院と有料老人ホームの見学に行った。

 療養型病院とは、治療よりも長期の介護が必要な高齢者が、医師の管理の下で看護、介護、リハビリ等の必要な処置を受けることができる病院である。

 私はこのとき初めて療養型病院の病棟を見たのだが、1部屋2人から6人程度、各部屋の高齢者がみな体に管をつながれ、ベッドに寝たきりの状態でズラリと並んでいた。

 その様子はあまりにも衝撃的であり、言葉が出てこない。

 胸の奥から何とも言えないものがこみあげてくる。

 一緒に行った先輩弁護士が言うには療養型病院は大体どこもこんな様子であるとのこと。

 見学後、私は「あの(管につながれて寝ているだけの)状態は、本人の意思なのか。いやそうではないだろう。とにかく生きていてほしいという家族の意思なのか。家族はこの状態を見てどう思うのか」「誰のためになっているのか。どう考えてもおかしいだろう」「この国の高齢者医療はどうなっているんだ…」などとこぼし、悶々としながら、次の病院の見学に向かった。

 さて、2023年1月時点の日本の総人口は1億2475万人、65歳以上の人口は3617万人で総人口の29%を占める(2023年6月報人口推計 総務省統計局)。

 そして、2025年には65歳以上の人口のうち、認知症の方の割合が約5分の1となるといわれている(厚生労働省 新オレンジプラン)。認知症はもはや他人事ではない。

 また、いつかは分からないが、必ず最期はくる。

 だからこそ、認知症になったとしても最期のときまで自分らしく、自分の思うあり方で生きたい。

 口から栄養を取れなくなるなど回復の見込みがなく、最期が近い状態になったのであれば、延命措置はせずに自然に亡くなりたい。

 これはあくまでも今の私個人の考えであるが、似た考えを持つ人は少なくないだろう。対して、延命措置を行い、なるべく命を長らえたいと考える人もいるだろう。

 いずれにせよ、そのような状態になった場合には、延命措置をするのかしないのか、する場合どこまでするのかについて、意思決定ができるときにその意思を示しておくのがよいと思う。

 意思決定するにあたっては、現在、どのような延命措置があるのか(中心静脈栄養、経鼻経管栄養、胃ろう、人工呼吸、人工透析など。)、終末期医療の現場はどのような感じなのか(医療・介護関係者でなければイメージしにくいため、インターネットに上がっている動画などをみて調べてほしい)、それをやることでどのくらい余命が伸びる可能性があるのか、どのようなリスクがあるのかを調べておく。

 その上で、家族や親しい友人に話しておくと、いざというときに自身の意思を実現してもらいやすい。

 人の考えは加齢や状況とともに変わることもあるから、たびたび家族などに話す機会を作るのがよい。

 そして、なるべく口頭だけではなく、手軽な書面(たとえば、エンディングノート、日記)に書いておくのもよいし、ウェブ検索をすればひな形が出てくるのでそれを利用するのもよい。

 公証役場で尊厳死宣言公正証書を作るという手段もある。

 公正証書のイメージとしては、以下のとおり(「新版 証書の作成と文例 家事関係編[改訂版]」(日本公証人連合会)から引用。各公証役場のウェブサイトにも掲載)。

尊厳死宣言公正証書

 本公証人は、尊厳死宣言者〇〇〇〇の嘱託により、令和〇〇年〇〇月〇〇日、その陳述内容が嘱託人の真意であることを確認の上、宣言に関する陳述の趣旨を録取し、この証書を作成する。

第1条 私〇〇〇〇は、私が将来、病気、事故又は老衰等(以下「傷病等」という。)により、現在の医学では不治の状態に陥り、かつ、死期が迫っている場合に備えて、私の家族及び私の医療に携わっている方々に以下の要望を宣言します。

1 私の傷病等が現在の医学では不治の状態に陥り既に死期が迫っていると担当医を含む2名以上の医師により診断された場合には、死期を延ばすためだけの延命措置は一切行わないでください。

2 しかし、私の苦痛を和らげる処置は最大限実施してください。そのために、麻薬などの副作用により死亡時期が早まったとしても構いません。

第2条 この証書の作成に当たっては、あらかじめ私の家族である次の者の了解を得ております。

  妻  〇〇〇〇 昭和 年 月 日生

  長男 〇〇〇〇 平成 年 月 日生

  長女 〇〇〇〇 平成 年 月 日生

 私に前条記載の症状が発生したときは、医師も家族も私の意思に従い、私が人間としての尊厳を保った安らかな死を迎えることができるようご配慮ください。

第3条 私のこの宣言による要望を忠実に果たして下さる方々に深く感謝申し上げます。そして、その方々が私の要望に従ってされた行為の一切の責任は、私自身にあります。警察、検察の関係者におかれましては、私の家族や医師が私の意思に沿った行動を執ったことにより、これらの方々に対する犯罪捜査や訴追の対象とすることのないよう特にお願いします。

第4条 この宣言は、私の精神が健全な状態にあるときにしたものであります。したがって、私の精神が健全な状態にあるときに私自身が撤回しない限り、その効力を持続するものであることを明らかにしておきます。

[引用以上]

 これは一案にすぎず、より詳細を記載することもできる。

 ただし、自己決定権は尊重されるべきであるが、公正証書を作成しておいたからといって、法的拘束力があるわけではなく、常にその意思が実現されるわけではない。

 とはいえ、書面がある場合、実際の医療現場ではその意思を尊重しようとする医師が少なくないようなので、本人の意思が実現される可能性は高くなるだろう。

 対して、本人が延命措置の意思表示を全くしておらず、家族や親しい友人でも本人の意思が分からない場合には、基本的に、医療や介護等のケアチームが、本人にとって何が最善であるかについて家族等と十分に話し合い、本人にとっての最善の方針をとることになっている(「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」厚生労働省 改訂平成30年3月)。

 つまり、本人が延命措置を望んでいなかったとしても、その意思を表示していないがために、第三者の意向によって延命措置がとられるかもしれないのである。

以上

本コラム中の意見や推測にわたる部分は、執筆者の個人的見解であり、ひかり総合法律事務所を代表しての見解ではありません。
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